日々のはなし

鳥取のゲストハウスで考えたはなしとちょっとの美術のはなしをしようと思います。

冨井大裕「コンポジション―モノが持つルール―展」ATELIER MUJI

3年前、国立新美術館で行われた「アーティスト・ファイル 2015 隣の部屋――日本と韓国の作家たち」で冨井さんの作品を初めて見た。私が現代美術を見てきたなかで1位、2位を争うくらい心が動かされたのを覚えている。

わたしたちがふだん使っている日用品・既製品を用いて、その形がほぼ損なわれないような形で「作品」にさせる。日用品に対する視線・見方を変化させる。そのかたちはわたしの目にはとても美しく見えた。それでいて、ユーモアやジョーク的な部分も垣間見える。それ以来、わたしにとってずっと気になる人・作品になっている。

学生時代には授業のレポート内で冨井さんの展示を企画したり、進級論文に取り上げたりしていた。そんなふうに冨井さんのことを言葉にすることを試みたこともあったけれど、ずっと、腑に落ちることはなく、言葉にするたびに零れ落ちていくものがたくさんあることを思い知らされた。

今回の展示は無印良品の商品を使って組み合わせ、変形させることによって作品をつくる、と同時にその作品をつくる方法「指示書」を展示している。

作家ステイトメント「つくるということ」がとてもかっこいいなと思った。「つくることをつくっている(つくろうとしている)」という言葉がとても腑に落ちた。これらの言葉は普段冨井さんの作品を見てきている人たち以外にも向けられているように思って(有楽町の無印良品のお店の一角にあるスペースだし)、この言葉のやさしさに、強さに、伝えようという意思にとてもかっこいいなと思った。多くの人に伝わっているといいなと願うと同時に、お店にいるお客さんの数に対するこのスペースの人の少なさ・向けられる視線の少なさに悲しくもなる。それでも、冨井さんのその意思はひしひしと伝わっている。

指示書を展示することは見方を変える見方を示していることのように思った。よくいえば、見る人にとってやさしい(深く考えなくて済む)けれど、わるくいえばわかりやすすぎる。場所がギャラリーや美術館ではない、美術になじみのない人でも来られる場所ということを考慮すると、その態度は正しいのかもしれない。ネタバラシ感があったのは確かで、ただ、その良し悪しを私には決められないと思った。